あの震災から数週間が経過しました。
私の高校が仙台だったのは既出ですが、津波で消えた閖上とか亘理辺りは「ちょっと海でも見に行くかー」とか言いながらCBXの後ろにミニスカートを乗っけて走った思い出の地です。
地震の直後は現地の友人たちと電話は繋がって、無事を確かめてホッとしたのも束の間、何人かの友人は津波到来後にプッツリと連絡が取れなくなりました。
***
本当は自分で物資を運んで行きたかったのですが、「おまえの神戸から東京までの移動に必要なガソリンが無駄だ。しかも往復!だったらそのガソリンは被災地に回せ。そしてそのガソリン代と高速代を出せ。更にその携帯缶を買う金と、お前の持ってる金を出せ。」
そう言われて、ぐうの音も出ず、現地に行くのは思いとどまりました。
家にあったシュラフ、マット、ガスストーブ、ホワイトガソリン、ランタン、ヘッドランプ、電池なんかは全部送り出しました(プレヒートが必要なものは残しました)。
それから水、電池、電灯、ガス缶、マスク、歯ブラシなんかをいろんなところで数百単位で大人買いして送ってみたりもしました。
成り行きで物質積み込みの手伝いなんかもしました。お金も幾らかづつに分けて、なるべくいろいろなところに送りました。
お金は被災者にだけでなく、現地で活動している人たちにも送らなくてはなりません。
死臭の漂う現地から、直接電話が来るので、こちらで準備できるものはこれからも送り続けます。
いろんな人がそうゆう活動をしてくれているから、日本中からも、世界中からも、お金や物資が集まって、少しづつ良いほうに向かっていくと信じています。
ただ、かなり時間は掛かると思います。テレビのニュースは東京に影響を及ぼしている原発事故に偏り始めていますが、現地はこれからが大変なのでしょう。
被災のニュースがテレビで取り上げられる時間がだんだん減って、くだらないゴシップが幅を利かせてくるようになるのは時間の問題だと思いますが、いろんな影響はこれから出てきます。
個人の生活はもちろんですが、企業や経済や貿易や食なんかに深く長い影を落とし始めるでしょう。
一方で、電力不足の問題から、現代のライフスタイルそのものを再考しなくてはならない(気づいていた人はとっくに実践していたわけですが)ことになってくるのは、変化のためのキッカケとしては丁度良かったのかもしれないし、必然だったのかもしれません。
***
さて、我々の出来ることは何なのでしょうか。
現地の人が望んでいることは簡単です。
死んだ家族や友人を返してくれ、消えた家や車、元の生活を返してくれ。これだけです。
それが無理なら、瓦礫をどかしてくれ、遺体を捜してくれ、ライフラインを復旧してくれ、住むところを用意してくれ、暖かい飯を食わせてくれ。そんな感じです。
少々乱暴ですが、これらを叶えてあげられないのなら、我々にやるべきことはありません。
せいぜい募金をするくらいで、あとは早く自粛をやめて普通の生活に戻ることです。
東京の経済が失速したら日本全体が失速します。復興には金が掛かります。東京が堕ちたら金が回りません。
既に外食産業や中小企業は悲鳴を上げています。電力や物流や各種供給の影響もあるでしょうが、業界によっては自粛の影響がそれ以上に深刻です。
街は薄暗くても、気前良く、景気良く、お金を使うことも社会貢献だと思います。
「おまえらが自粛したってこっちの人間は助からねぇ。」
これが現地の友人の台詞です。
と、言うことで BH も徐々に通常モードに戻したいと思います。