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沖縄というところ

沖縄に引っ越して明日でちょうど5週間。
距離的に遠かったこともあり色々と大変だったけれど、やっと普通の生活を送れるようになってきた。
新しい住所は沖縄県中頭郡北谷町と云うところ。(ちなみに北谷は「ちゃたん」と読む)
東京都渋谷区代官山町とかいう田舎者の憧れみたいな超都会に住んでいた私が、住所に「郡」が付くところに住む事になるなんて夢にも思わなかった。
しかし。しかしである。
この北谷町というところ、渋谷に住んでいたときと遜色がないくらい便利なのだ。
飲食店は無数にあるし、スーパーやドラッグストアも沢山あるし、映画館や観覧車まで有る。
要は観光地の真っ只中なのである。

そしてなにより家の目の前が海だ。それもただの海じゃない。青い海だ。
海の色っていうのは空の色が写っているだけだから、青空じゃないと海は青くないんだよって誰かに教えられて、確かにその通りだってずっと思っていたけれどそんなの嘘。うちの目の前の海はいつだって青い。雨が降っていたって曇っていたって不思議と海は青い。
そしてさらに砂浜は白い。珊瑚と貝殻で出来たまっ白なビーチ。多分、人工だけど。
こっちへ来てからずっと曇りの日が続いていて、やっと今日まともに晴れたのでビーチをふらふらと歩いてみた。そしたら、オレこんな所に住んでいいんだろうか?と、思うほど綺麗なビーチだった。

来週はクリスマスだっていうのに太陽さえ出ていればまだ半袖でもイケる。
街にはTシャツの人と長袖の人とカーディガンの人とダウンジャケットの人が混在している。
僕はビーサンを履いているけれど、モコモコしたブーツを履いている人もいる。不思議なところだ。
クルマに乗ると「Yナンバー」のクルマがやたらと多い。
街を歩いていても外人率が著しく高い。ここは夜の六本木かと思うほど、いや、それ以上に多い。
近所のイオンを歩いている外人の家族連れ。「スゥーブ、リーェナ!」とお父さんが娘を呼ぶ。
あ、この子サブリナなんだ。それにしても発音がハンパねー、なんて思ったりしたけど、それもそのはず。北谷という街は嘉手納基地や普天間飛行場を始めとする米軍施設に周りをグルッと囲まれているのだ。国道沿いのラーメン屋なんて、客の9割が外国人。というか米軍のアメリカ人。
興味のある人はグーグルマップで「北谷町」と調べてみてください。
日常的に戦闘機が目の前や頭の上を通過していくのが当たり前になり、那覇空港に降り立った時に陸上自衛隊と海上自衛隊と航空自衛隊の建屋が一列に並んでいるのを見ると「あぁ、帰ってきたぁー」とか思いながらホッとするようになってしまうと、ああここは、この島は軍事拠点なんだなということが完全に刷り込まれる。中国も台湾も尖閣諸島も目と鼻の先だし、東京や神戸に住んでいたときよりもニュースに敏感にならざるを得ない感じ。
そして今日。
天気が良かったので、ずっと行ってみたかった「ひめゆりの塔」へ行ってきた。その場所は沖縄本島の最南端。沖縄の人はあまり住みたがらないという沖縄の南。もちろんそれは沢山の人が亡くなった場所だからなんだけど、どうして沢山の人が死ななくてはならなかったのか。どうして沖縄には米軍基地が沢山あるのか。沖縄に住むのならそうゆうことをキチンと理解しておかなくてはならないし、この場所には一度は行っておかなくてはならない気がしたのだ。
引っ越してきてまだ一ヶ月かそこらだけど、既に愛着を感じ始めている沖縄。
自分にとってはもはや観光地ではないので、「アハハハ、沖縄チョー楽しいー」とか言う前に、キチンと向き合うところは向き合っておきたいとか思ってしまったのだろうか。

南の島へ旅行へ行くといつも思うこと。それは「ああ、帰りたくないなぁ。」という我がまま。
帰りたくなければ住めばいい。住めたらいいな。いつか住みたいな。
そんな風に漠然と思っていたけれど、いろんな事に後押しされて、本当に来てしまった。
もちろん同級生が沢山死んだ3.11の影響も多分にある。
けれどやっぱりそれ以上に、自分自身が死にそうになったことが大きく価値観を変えた。
他人(ひと)の為に何かをしたい。しかしその為に自分を犠牲にしていいのだろうか。まずは自分自身の魂を喜ばせなくてはならないのではないだろうか。
人それぞれ出す結論は違うと思うが自分は自分の魂を全力で喜ばせることを、まずは選んだ。
小学校の時、夏休みはずっと新潟の実家に預けられていた。
一年生から六年生まで、夏は毎日、新潟の海で一日中遊んでいたのだ。
少なくとも今、海っぺりで育った私の魂は、喜んでいる。

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