ホットバイクジャパン編集長、池田伸 氏が亡くなったそうです。SNSのフィードで知りました。葬儀に駆け付けようかとも思いましたが、行くなら生前に行くべきでした。生きてるときには会いに行きもしないくせに、亡くなったからってわざわざ行くなんて、なんだか本末転倒な気がしたので、勝手に遠くから想いを馳せることにしました。ああ、これって自分の母親に全然会いに行っていないという事実にもピッタリそのまま当てはまるんだよなぁ。そんな簡単で大切なことを気付かせてくれた気がします。まだ生きているうちに母親に会いに行かないと、伸さんに怒られちゃうかもなぁ。
私が彼に初めて会ったのは2011年6月。単身、ホットバイクジャパンの編集部へ乗り込んで、「何か書かせてください」と直談判したのが始まり。初対面なのにその場で「面白いね。いいよ。じゃあ書いてみる?」と、連載が決まったのだった。タイトルも内容も勝手に決めていいからと言われ、その言葉通り、雑誌不況の煽りで誌が廃刊になるまでの8年間、見開きカラー4ページの自身の連載に誤字以外の修正が入ることは一度もなかった。
連載絡みで必要な連絡事項はメールすれば問題はなかったけれど、物言いはぶっきらぼうだし、電話はほとんど繋がらないし、折り返しの電話も来ないし、自分にとって彼は「テレパシー」の人だった。最初の数回は上げた原稿のゲラをPDFで送ってきてくれていたが、すぐにそれもなくなり、原稿を送って音沙汰ないなと思っているともう書店に自分の書いた原稿の本が並んでいた。締め切りの日までに、修正のいらない約8000字の原稿を隔月で仕上げる。するとそれが本になる。よく言えば阿吽の呼吸というか、まあ信頼に基づく以心伝心というか、必要なコミュニケーションは原稿と誌面を通して十分に取れていた。そんなことが8年にも渡り続いた。だから、仕事以外の感情を以てして会いたい時は、彼のいる場所を探し出して直接会いに行くしかなかった。そして実際に会いに行くと、いつでも熱烈歓迎してくれた。だからもう一度会いたかった。
彼にもらった本「たびがく」とか「路上へ」は擦り切れるほど読んだし、もちろんホットバイクの記事もよく読んだ。もうあの文章が新しく生み出されることがないのかと思うと、とても寂しい。今日は彼の本を引っ張り出してきて読みながら飲もうと思います。池田さん、いままでありがとうございました。どうか安らかにお眠りください。
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